講師の仕事に就いて無我夢中で仕事をした。あっという間に3年が過ぎた。 気持ちが落ち着いた頃に心配事ができた。 このままではテキストを説明するだけの人になってしまうのはではないか。 教えている技術は日々進歩し発展し続けている。 自分が教えられる知…
2010年2月に念願がかない講師として採用された。 そして1年後に転職。3月から基金訓練の講師になった。 第2種電気工事士相当の職業能力開発指導の仕事だった。リーマンショックから2年以上が過ぎていたが、いろいろな職業経験を積み重ねた受講生が集まった。…
2009年秋、高専時代の同級生からの依頼で講演をした。 2008年の年末に、研修インストラクター、講師職を目指して、20年以上勤めた会社を退職をした。 それから10ヶ月が過ぎていた。 講演料と交通費を頂いた。講師としての最初の報酬だった。 通信制大学での…
2008年夏、早期退職募集が始まった。 部門研修インストラクター職への異動はあきらめた。他社の企業研修も集合研修は減り、社外研修会社の通信教育受講が奨励されている印象だった。 家族と相談をして、早期退職に応募した。 アメリカのサブプライムローン破…
研修インストラクター職にこだわり続けることが異動の障壁となった。また今だから理解できるが、ある程度職位が上だったため、異動可能なポストが部門内には存在しなかった。他部門から異動してきた部門長には、部門内の事情が分からかったのかもしれない。 …
部門長から異動先を考えるように言われたとき、同じ部門に同期で入社した社員は、ほぼ全員が関連会社に出向していた。50歳で定年扱いで退職した先輩たちが転籍している関連会社だった。 今から思えば、その関連会社に出向希望をすれば、すぐに異動先は見つか…
50歳以降に条件を満たせば支給される退職する定年退職金は、退職時に一時金として請求も可能だったが、年金支給にした部分は終身年金になった。 50歳で退職、関連会社へ転籍しても、新たに仕事を覚える必要はなかった。転職活動をする必要もなかったから、失…
入社後間もなく帰省したとき、実家で目にしたのは、会社が新入社員の家族に送った書面だった。これからの時代、経済は右肩上がりで、会社も着実に成長するだろうから、安心してくださいという内容だった。バブル経済が始まる少し前だった。 それから10年が過…
部門研修のインストラクターになりたいと思った。しかし、希望は叶わなかった。入社してから間もなくバブル経済が到来。そして崩壊。それから15年以上が過ぎ、世の中の事情は変わっていた。 目の前の世界は常に継続しているから、中長期的には変化していても…
2007年の春、部門長へ異動希望先を伝えた。部門研修のインストラクターになりたいと伝えた。 しかし、回答はすぐに来なかった。 社内では50歳で転籍する先輩が増えていた。転籍後、部門研修の業務を担当されていた先輩に相談した。 間もなく返事が来た。組織…
2007年の春、新部門長からキャリアアップのため、希望する異動先を考えるように指示された。 地域の技術本部組織で建設現場経験10年、本社建設業統括部門で5年が過ぎ、そろそろ次のキャリアを考えてはどうかということだった。 入社後5年間の保守サービス経…
通信制大学のカウンセリング演習ではスーパービジョンの重要性も学んだ。先生は精神科医などの専門家向け研修に携わると共に、大学などの研究所で心理相談にも応じていた。 心理相談はいくら経験を積んでも、スーパービジョンが必要だと言っていた。 心理相…
通信制大学に入学して数ケ月後、産業心理学のスクーリング授業を受講した。心理学を学びたかったこともあり、大変満足のいく内容だった。 そして、最も衝撃を受け、影響を受けたのが、全米集団精神療法学会公認集団精神療法師(CGP)の先生に出会ったカウン…
通信制大学の選択は迷いに迷った。ITマネジメントと産業心理学が、同じ学科で学べる大学があった。最終的にその大学の産業心理コースを選択した。 20年ぶりに高専卒で出願した。母校から卒業証明書と成績証明書を取り寄せ提出した。3年次編入学が許可された…
通信制大学での学び直し。35年前には限られていた選択肢が、15年前には増えていた。 35年前には文学科、経済学科、法律学科が一般的で、その他の学科は数えるほどしかなかった。 15年前には、昼間の仕事が終わった後に学べる工学部などが廃止されていたが、I…
17年前の春、所属長の上の部門長から異動希望先を考えるように指示された。新卒入社から20年が過ぎ、本社へ異動して5年が過ぎていた。 入社後2年が過ぎた頃、通信制大学の2年次に編入学をした。今とは違い、授業料を納付すれば、卒業するまで何年でも在籍が…
部門人材研修インストラクターの先輩が亡くなってから15年後。 新規事業だった建設業担当の地域本部組織から、本社建設業統括部門に異動していた。 2007年春、全社的に大きな機構改革が実施された。約20年前の入社時に採用内定をいただき、配属予定だった、…
別れは突然やってきた。 部門の人材研修で、心の距離感を縮められたインストラクターの先輩の話が聞こえてこなくなった。アドバンスコースが始まった「7つの習慣」研修も開催されなくなった。知らない間に亡くなっていた。 本部組織同僚の先輩に話を聞いても…
ポスターのデザインを確定させるため、部門担当スタッフだった部門研修担当の先輩は、何度も足を運んでくれた。 デザインを都合により少し変更するなど、細かいことも逐一報告してくれた。 翌年1月の部門ミーティングに呼ばれ、標語の優秀作品に選ばれた、異…
入社から5年後、技術課から技術本部組織へ異動した。 異動して間もなく、新入社員研修で先輩の体験談を話して欲しいという依頼があった。これまで過ごした技術課での5年間を整理し、楽しかったことや、困ったことを話した。 退職を考えたことは話さなかった…
転職を考えた企業の採用担当は、外資系化学メーカーを定年退職した創業者2名だった。 技術担当役員が社長、営業担当役員が専務だった。 専務は野球が大好きで、定年退職後は時間の余裕ができて野球ができるようになったことを喜んでいた。 社長はものづくり…
はじめて退職を考えたのは入社後5年目だった。 出会った人々とのつきあいはとても楽しかった。 しかし、都会は怖いところというイメージは続いていた。だから、危ないといわれる場所には決して近づかなかった。 毎日飲んでいたお酒が飲めなくなるほどの体調…
新卒採用下さった会社で2年働いたら地元へ帰ろうと考えていた。しかし、はじめて退職を考えたのは入社後5年目だった。 なぜ、そんなに続いたのか。 良い出会いが沢山あったからである。 サービス技術部門の新入社員研修は高卒、高専卒、中途採用が集まったク…
新入社員の技術基礎研修でお世話になったクラスマネージャーも、1年後くらいにはインストラクター経験を積んで地元に戻って技術課長になった。 あるとき、配属先のお客様で地方拠点の作業があった。担当技術課に電話をすると、出たのは技術課長になったクラ…
新入社員研修では、同期入社の技術員たちが配属される全国の技術課で、共通して保守をすることになるテープ装置、印刷装置、磁気ディスク装置の技術研修を受講した。 全国の拠点に配属されたお客様で実作業経験を積み重ねた同期の技術員たちは、その後、それ…
正(プラス)の電荷が正極(電源のプラス)から負極(マイナス)に向かって導体内を移動することを電流と定義した。それが200年くらい前のことである。しかし、その後、電流の正体は負(マイナス)の電荷である電子の移動であることが発見された。そして電子…
電気理論は高校物理で学習する力学の理論に大変似ている。 地球上には万有引力がある。ニュートンが木からリンゴが落ちるのを見て・・・という、あの法則である。 電気理論では、地上という場所や世界ではなく、理学的には「電場」、工学的には「電界」とい…
先輩たちはポケットベルを上手に使っていた。24日365日体制のコールセンターも社内にあったので、忘年会の時期は大変重宝した。 お客様と信頼関係を構築し深めるためには、飲みながら本音を聞くことができる忘年会は良い機会だった。 入社1年目の12月から、…
1986年の7月に新入社員研修が終わり、技術課へ配属されたときに受け取ったのは「名刺」と「ポケットベル」だった。 「ポケットベル」は音が2種類のタイプだった。長い音と、短い音を鳴らすことができた。液晶に文字が表示できるようになるのは、更に数年後で…
先輩技術員はテープ装置の間欠障害が発生するたび、原因となる可能性が高い順に、テープ装置の部品を交換した。 ついに交換すべき部品が無くなった。それでもトラブルは繰り返し発生した。 そのトラブルをシステム支援担当スペシャリスト2名が徹夜作業で再現…