理系講師の人生振り返り

60歳前で始めた「最後のブログ」

先輩技術員の知恵を受け継ぎ、進化を極める

新入社員研修では、同期入社の技術員たちが配属される全国の技術課で、共通して保守をすることになるテープ装置、印刷装置、磁気ディスク装置の技術研修を受講した。

全国の拠点に配属されたお客様で実作業経験を積み重ねた同期の技術員たちは、その後、それぞれのお客様の保守作業で必要な、電子計算機のCPU本体や通信制御装置、レーザープリンターの他、地域によっては、CADシステム装置や銀行システム装置などのアドバンス技術研修を受講した。

今ではWindows製品で可能なCAD端末も銀行店舗端末も、専用のシステム装置が必要な時代だった。

新製品の研修には若手技術員だけではなく、ベテラン技術員が参加することも多かった。同期が配属された技術課の先輩技術員に会うこともあり、間接的に同期の消息を知ることもできた。

電流の正体:電子の移動と電気量の測定

正(プラス)の電荷が正極(電源のプラス)から負極(マイナス)に向かって導体内を移動することを電流と定義した。それが200年くらい前のことである。しかし、その後、電流の正体は負(マイナス)の電荷である電子の移動であることが発見された。そして電子1個あたりの電気量(素電荷;elementary charge)が、ある程度正確に測定されたのが100年くらい前。

電子1 mol (モル)あたりの電気量の単位はFd(ファラデー)と決められた。

高専在学中に化学を教わった一般教科担当の教授が「1個じゃないよ、1 mol だ」と授業中に繰り返し言っていた。そして「ミクロの世界、マクロの世界」も繰り返し言っていた。電気工学科の学生に何を伝えたかったのか、40年が過ぎた今、何となく分かり始めた気がする。

電気理論と力学の関係

電気理論は高校物理で学習する力学の理論に大変似ている。

地球上には万有引力がある。ニュートンが木からリンゴが落ちるのを見て・・・という、あの法則である。

電気理論では、地上という場所や世界ではなく、理学的には「電場」、工学的には「電界」という空間を想定した。

地上では引力や重力という、位置が高い所から低い所へ物体が落下する力がある。電気理論では、電界には電位の高い所と低い所があり、電荷は電位の高い方向から低い方向へ移動する力を受けるものと考えた。

電位の高低差、つまり電位差を電圧と称することにした。そして電圧の単位をV(ボルト)に決めた。そして電界の強さ(電界強度)の単位はV/mに決めた。

つまり力学が理解できれば電気理論も理解し易い。しかし、力学や、関係する数学が難解と感じる者にとっては、電気理論は難しいものなのである。

ポケットベルの思い出 その2

先輩たちはポケットベルを上手に使っていた。24日365日体制のコールセンターも社内にあったので、忘年会の時期は大変重宝した。

お客様と信頼関係を構築し深めるためには、飲みながら本音を聞くことができる忘年会は良い機会だった。

入社1年目の12月から、指導係の先輩の担当していたお客様の忘年会に呼ばれた。技術課長他、3名の先輩と一緒に参加した。

一次会で初めて会ったのに、意気投合したお客様のオジサンがいた。2次会はそのオジサンと一緒に行った。このオジサンには技術課から本部へ異動後、大変お世話になることを当時は知る由もなかった。

オジサンと飲んでいると、突然ポケットベルが鳴った。コールセンターヘ電話をした。「技術課長が呼んでいます。連絡先電話番号はxxxx-xxxx」。すぐに課長へ電話を入れた。

課長を呼んだが、課長ではない先輩が電話に出た。

「おい、お前はどこにいるんだ」。

「お客様と一緒に飲んでいます」。

「誰と一緒なんだ」。

「xxさんと一緒です」。

「いいから、一緒に連れて来い」。

12月の夜は長かった。

ポケットベルの思い出 その1

1986年の7月に新入社員研修が終わり、技術課へ配属されたときに受け取ったのは「名刺」と「ポケットベル」だった。

ポケットベル」は音が2種類のタイプだった。長い音と、短い音を鳴らすことができた。液晶に文字が表示できるようになるのは、更に数年後で、2種類の音が鳴らせるのが入社した時期の最新型だった。

ある先輩が飲み会で話していた。「どうも俺のポケットベルは調子が悪い」。噂では休日や夜間、ときどき連絡がつかなくなる、地方勤務の先輩だった。配属された技術課の先輩ではない。配属先の先輩は必ず連絡がついた。勤務時間外に来ると言っても来なかっただけである。

今のように勤務時間管理も厳しくなかった。「まあまあ」で許される時代だった。だから、働く側もある程度裁量で働いていたし、管理する側も寛容さを持っていた時代だった。

テープ装置の間欠障害を解明! 1986年秋その7

先輩技術員はテープ装置の間欠障害が発生するたび、原因となる可能性が高い順に、テープ装置の部品を交換した。

ついに交換すべき部品が無くなった。それでもトラブルは繰り返し発生した。

そのトラブルをシステム支援担当スペシャリスト2名が徹夜作業で再現した。

特定した原因は、電子計算機とテーブ装置の間にある、テープ制御装置の中だった。

テープ装置の部品を交換しても修復しなかったのは当然だった。

テープ制御装置の部品交換を終えた頃、外はもう明るかった。

間もなく始業時間が訪れ、出勤したお客様責任者へ、原因と作業内容を報告。

会社へも連絡をして作業終了。

帰宅途中、朝から駅前の蕎麦屋で先輩と一緒に食べた「つけ天そば」がおいしかった。

鮮やかな原因究明 1986年秋その6

技術員の先輩が、トラブルが発生するたびに呼ばれた。

しかし到着すると、トラブルが発生したはずのテープ装置は、いつも普通に動いていた。

テープ装置のマニュアルで発生したトラブルから原因を推定した。そして、トラブル発生の原因となる可能性の高い部品を交換し続けた。

テープ装置の部品を交換し続けても、同じトラブルは間欠的に繰り返し発生したのだった。

システム支援担当のスペシャリストは、テープ装置単体で原因究明をしようとはしなかった。

実際はシステム稼働中に時々発生していたトラブルだった。だからシステム停止が可能な業務終了後に、テープ制御装置経由でテープ装置を動かし続けたのだった。

トラブルが発生した後のシステム支援担当スペシャリスト2名による原因特定作業は美しかった。新人技術員には真似のできない鮮やかさがあった。来た甲斐があったと思った。